一般的にお地蔵さまといわれる地蔵菩薩は、日本では、知らない人がいないもっとも親しまれている仏さまです。
お地蔵さまは、特に子供や旅行者、困難な状況に立たされた人々を救済し、苦しむ者たちを支える守護神とされています。
お地蔵さまの真言を心から唱える者に対しては、「ほっする物をすべて思うままに満たしてくれる」(望み通りの幸福をもたらす)と信じられています。
見渡してみると、東京(江戸)の町中には、数多くのお地蔵さまがあることに気づきます。
道端のほこらや田畑の脇道、墓地の入り口などに、地元の人に熱心に祀られ続けられている、由来の不明な多くの石の地蔵さまです。
決して大きなものではないのですが、いかにもご利益のありそうなお地蔵様をいくつかご紹介していきます。
佃天台地蔵尊
地下鉄の月島駅からもんじゃ焼きの店舗が並ぶ月島もんじゃ通りとは、逆方向に北へ向かい、佃方面へ徒歩5分ほど歩くと、狭い住宅地の路地の奥に佃天台地蔵尊があります。
アクセス:東京都中央区佃1丁目9−6
なかなか一見では、見つけにくい、見逃してしまう様なところではありますが、入り口には赤いのぼりがあり、ようやくここか!とわかるところです。
中には、まさに神木であろうと思われる大きな銀杏の木が狭い路地の堂内の天井を貫いています。
正面のご本尊のお地蔵さまは、平らな石に刻まれた地蔵菩薩像で、左手に宝寿、右手に錫杖を持っている姿で描かれています。
イチョウの木は、天井をつらぬいているのですから、大変、太く大きく、
石に描かれたお地蔵さまもご立派です。
刻銘として、妙運和尚の名前があります。
妙運和尚は、天台宗の僧侶で、江戸末期から明治の時期に84,000体の石地蔵の建立をした発願した地蔵比岡といわれています。
上野寛永寺のそばにある浄名院には、妙運和尚が建立しようとした石地蔵によって、境内を埋め尽くされていますが、現在もまだ84,000体までは、完成していないそうです。
現在は、妙運和尚が建立しようとした半分にあたる完成した48,000体のうち、浄名院の境内には、20,000体ほどがあるそうです。
妙運和尚だけでなく、84,000体の石地蔵を建立する、という意思に賛同した全国の協力者、信者たちによって、造立されていった各地蔵ですが、その地蔵には、おのおの番号がつけられています。
この佃天台地蔵尊には、妙音和尚の名前は、刻まれていますが、なぜか、正式な番号は、ついていません。
またこの地蔵については、子育て地蔵とされていますが、この地には、子供の水難事故が数多くあったらしく、子供を水難からお守りくださいという願いが込められているそうです。
ほうろく地蔵【大円寺】
大円寺は、都営白山駅から徒歩3分ほどの住宅地の中にある曹洞宗の小さな寺院ですが、境内には
「八百屋お七」、由来の「ほうろく地蔵」があります。
ほうろくは、素焼きの浅い土鍋のことで、米や麦などをいったり焼いたりする鍋のことです。
そのほうろくが地蔵の頭にかぶせられているのです。
火あぶりの刑に処せられたお七を供養するために熱したほうろくを頭にかぶって、熱の苦しみを受け入れる地蔵として安置されました。
首から上、頭部、脳、意識などの病の平癒に特にご利益があるとされ、願いを記入したほうろくが多く奉納されています。
笠(かさ)地蔵の昔話
大雪の大みそかの日に、貧しい笠売りのおじいさんが、笠が一つも売れずに家に帰る途中に、頭に雪の積もった6体の地蔵のところにやってきました。
おじいさんは、雪にまみれたお地蔵さまをかわいそうに思って、お地蔵さまの頭の雪をはらって、持っていた笠を差し出しました。
持っていた笠は、5つしかなく、足りない1つは、自分が頭にかぶっていた手ぬぐいをかけました。
家に帰ったおじいさんは、おばあさんにそのことを話すと、おばあさんも、「それは、良いことをした」といって、二人で喜びました。
その日の深夜に、大きな足音がして、笠と手ぐいをかぶった6体のお地蔵さまが、おじいさんの家にやってきて、米俵や、お酒、魚などを家の前に置いて、帰ったそうです。
おじいさんとおばあさんは、大変、喜んで、幸せに暮らし、その後もお地蔵さまをお参りしたそうです。
教訓
親切な施しをした無欲な者には、思わぬ福が呼び込まれるというお話ですね。
善行を積むことと、無償の愛と、思いやりを持つことが、人生に幸せをもたらすことを教えてくれました。
あとがき
お地蔵さまは、お坊さんの姿で可愛らしいお顔をしたものが多く、子供に縁が多く、子供を守るお地蔵さまという子育て地蔵と子安地蔵と夜泣き地蔵などがあり、さまざまな形で、子供たちの健康と幸福を願うために祀られています。
また、不幸なことに、この世に生まれて来ることができなかった子供には、水子地蔵が寄り添います。
お地蔵様は、日本の文化と宗教において、非常に重要な存在であり、心の支えとなっています。