お江戸歴史散策

江戸時代の青物市場と振り売りの活躍!

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この記事では、江戸時代の都市の成長と食糧事情の関連性にスポットを当てます。

青物市場は、都市化の進展に伴い急速に成長し、交通の便や商品の流通に大きな貢献をしました。

さらに、青物市場が果たした重要性と、庶民の生活に欠かせない存在である振り売り(行商人)についても詳しくご紹介します。

青物市場で取引される野菜が江戸の庶民の食卓を彩り、季節ごとの旬の野菜が江戸時代の人々の生活に豊かさをもたらしました。

青物市場と振り売りの存在は、江戸の都市の発展を象徴する一端と言えるでしょう。

この記事では、江戸時代の日常と都市の息吹に迫ります。

神田青物市場(別名:やっちゃばについて)

江戸時代の江戸の食糧事情を支えたのは、神田青物市場です。

この市場は、別名『やっちゃば』とも呼ばれていました。

江戸幕府は、1612年(慶長17年)に伊勢松坂の青物商人を、江戸に招きました。

そして翌年の1613年、同じく伊勢松坂の青物商人である『伊勢屋長兵衛』(いせや ちょうべえ)を神田多町たちょうに住まわせ、青物商人の組織の代表として任命しました。

これが神田青物市場の始まりです。

神田多町たちょうを中心に、連雀れんじゃく町、雉子きじ町、佐伯本町、須田町が、神田やっちゃばといわれ、青物5ヶ町といわれ、多くの青物商人が、商売をしていました。

その神田青物市場(現在の東京都千代田区)に加え、千住(現在の東京都足立区)、駒込(現在の東京都文京区)、本所(現在の東京都墨田区)、京橋(現在の東京都中央区)を『五大青物市場』といい、当時の江戸の人々の野菜の需要を満たしていました。

青物市場は、明け六つ(午前6時頃)から、暮れ六つ(午後6時頃)まで、行われていました。

青物市場は、江戸時代の食糧供給において、不可欠な役割を果たしました。

市場は、新鮮な野菜、果物などの食材を集め、都市の住民に供給する拠点として、機能していました。

開運先生
開運先生

江戸時代の青物市場では、農家や業者は努力して野菜を生産し、それを市場に運び込みました。
同様に、開運を望むなら、努力と準備が不可欠です。

江戸時代の都市化の進展とともに、人口の増加に伴って食糧需要も、急増しましたが、神田青物市場は、その需要を満たすための重要な役割を果たしました。

神田青物市場は、江戸の中心部に位置していたため、交通の便がよく、都市全体に食材を供給するための重要な拠点でした。

市場では、農家から、集められた商品が売買され、商人たちは競り合いながら取引を行いました。

そのため、市場は活気に満ち、人々の生活に欠かせない存在となりました。

また、神田青物市場は商人たちの組織化も促進しました。

伊勢屋長兵衛をはじめとする青物商人たちは、市場の発展と運営に尽力し、組織の代表として重要な役割を果たしました。

彼らは、市場の秩序を維持し、品質管理や価格の調整などを行い、市場全体の発展に寄与しました。

江戸時代の終焉とともに、神田青物市場もその役割を終えましたが、その歴史的な存在は、今でも賞賛されています。

現代の日本の市場や商業の基盤は、神田青物市場の遺産に根付いています。

開運先生
開運先生

青物市場の成功は、市場で価値のある商品を提供した結果でした。
開運を望むなら、他の人々に価値を提供する方法を考えましょう。
自分のスキルや才能を活かして、他の人々に役立つことが開運への一歩です。

江戸の【振り売り】の活躍

江戸近郊の農家や野菜業者は、馬や牛に野菜を積んで、青物市場に運びました。

青物市場では、問屋が、これらの野菜を仕入れ、八百屋や行商人【振り売り】といった小売業者に、販売しました。

『振り売り』(行商人)は、その日の朝早くに、青物市場で、仕入れた野菜を、天秤棒の先に着けた籠に入れ、野菜が売り切れるまでか、または、その日が暮れるまで、江戸市中を精力的に、売り歩きました。

野菜は、通りに面した八百屋(青物屋)でも、売ってはいましたが、江戸の町の多くの人々は、長屋の路地の奥にまで入ってきて、野菜を売る【振り売り】から、買うことが、一般的でした。

【振り売り】は、毎日、一定のコースを同じ決まった時刻に回ってくるので、買う方は、非常に便利であったといわれています。

江戸の行商人【振り売り】の扱う商品は、青物(野菜)だけではなく、食品全般に及んでいました。

・魚、アサリ、しじみなどの貝類、豆腐、納豆、海苔、唐辛子などの食品の素材の他

・そば、寿司、天ぷら、おでん、うなぎなどの屋台の振り売り

・甘酒、しるこ、飴売り、煎餅、大福などの甘味・菓子類などの振り売りもありました。

食品の他にも、

・古着、たびなどの衣類、ほうき、すだれ、薪、炭など季節に必要な道具、

・金魚売りなど、変わったものまで、さまざまなものが、独自の工夫を凝らして、自由に行商され、江戸の都市の発展に大きく貢献したのです。

あまじん
あまじん

多様な商品や、情報の集まりは、当時の江戸の都市の輝きの象徴といえますね。

開運先生
開運先生

青物市場では、農家、業者、問屋、八百屋、行商人など、多くの人々が協力して市場を繁盛させました。
開運も同じで、周囲との良好な関係や協力が成功に不可欠です。

江戸時代の暮らし

江戸時代の庶民の食卓

江戸時代には、現在とほとんど変わらないほど多様な野菜が出回り、(外来の新種野菜を除けば)豊富な品種が広まっていました。

江戸庶民の食卓には、日常的に大根、人参、小松菜、ゴボウ、ネギ、レンコン、里芋などが、並びました。

西洋野菜のかぼちゃ、トウモロコシ、さつまいもも、江戸時代に日本国内で栽培され、庶民の口に入るようになったとされています。

神田の青物市場は、江戸城への供給も担当しており、幕府の役人が毎朝、御用の問屋に注文を出し、野菜を納入していましたが、幕府の野菜の買い上げ価格は、市価の約3割程度であり、問屋が安く買い叩かれることが多かったため、高く売りたい人気の商品を、幕府の役人から、隠してしまうことも、よくあったと、いわれています。

初物好きの江戸っ子たちは「初物を食べると75日長生きする」と信じられていました。

そのため、江戸では他の人よりも、早く初物を食べるために、多くの金持ちが大金を、はたいたとされています。

初物で最も人気のあったのは、初ガツオですが、なぜカツオが一番人気だったかというと、カツオは「勝つ」という言葉に通じるからだと言われています。

青物の初物としては、生椎茸なましいたけ蜜柑みかんなし茄子なすたけのこ白瓜しらうりかきなどが好まれました。

江戸時代の庶民の食卓は、主に米や野菜を中心とした食事が基本でした。米は庶民の主食であり、野菜は栄養補給として重要な存在でした。

また、魚介類も重要なたんぱく源であり、庶民の食卓に頻繁に登場しました。

庶民の食卓は季節によって変化し、各地の旬の食材が積極的に活用されました。

春には、筍や山菜、夏には、トウモロコシや茄子、秋には、梨や栗や柿、冬には、かぼちゃや大根といった旬の野菜が、楽しまれました。

これらの食材は、時期を逃すと手に入りにくくなるため、庶民たちは、その季節を大切にし、味わいました。

あっくん
あっくん

季節ごとの旬の野菜は、現代でも、おいしいですね。

開運先生
開運先生

江戸っ子たちは「初物を食べると75日、長生きする」と信じていました。
開運には信念が大切です。
自分の能力を信じ、ポジティブな思考を持ちましょう。

また、江戸時代の庶民は、日々の食事において、限られた資源を上手に活用し、創意工夫を凝らした食事を楽しみました。

人々の知恵と工夫は、生活に、豊かさをもたらし、現代の日本料理文化の基礎を築いた一端といえるでしょう。