戦国時代、その混乱と緊張が、日本全土を覆い尽くしていた時代。
その中で、数多くの武将が、名を刻んでいきましたが、中でも、特筆すべき存在がいました。
それが、井伊 直政(いい なおまさ)-赤鬼-と恐れられた 優れた猛将です。
井伊直政は、徳川四天王の一人として、家康に絶大な信頼を寄せられた存在でしたが、その若き日々は、激動に満ち、様々な試練に、立ち向かっていきました。
井伊直政の勇猛な戦いぶりや、忠誠心は、多くの戦国時代の軍記物や文献に詠まれ、その名声は時を超えて、語り継がれてきました。
本書では、井伊直政の生涯を追いながら、戦いの中で見せた、輝かしい武勇、そして徳川家康への献身的な忠誠心を描きます。
彼が赤鬼として恐れられる一方で、どんな思いで戦いに臨み、どのようにして名声を勝ち取ったのか? その魅力に迫ります。
また、井伊直政の生きた戦国時代と、現代との対比を通じて、戦争と平和、忠誠心と自己実現、社会との関係についても考察します。
戦国時代の武将としての生き方に学びつつ、現代に生きる私たちにも、何かしらの示唆が、あるのかもしれません。
井伊直政の生涯に触れることで、日本の歴史と精神に思いを馳せると同時に、彼の勇敢さと、信念に感銘を受けることでしょう。
どうぞ、井伊直政の壮絶な戦国時代を垣間見る、この物語を、心ゆくまで、お楽しみください。
井伊直政の生涯
井伊直政は、1561年(永禄4年)~1602年(慶長7年)、遠江国(現在の静岡県)にある、今川氏の配下として、生まれ育ちましたが、今川氏に父親を殺され、各地を放浪していました。
浜松城下で、徳川家康に見いだされ、徳川家の家臣となり、数々の戦いで、徳川家の家臣である、三河武士にも劣らない、勇敢な戦闘ぶりを見せ、徳川家康の信頼を勝ち得ました。
井伊直政は「赤鬼」として、恐れられ、特に彼の部隊は「赤備え」と呼ばれる具足、旗指物などを、朱色で統一していたことで、有名です。
この「赤備え」は、もともと武田信玄の重臣である「山県昌景」が指揮していた部隊で、武田家が、織田・徳川の連合軍に敗れ、滅びた後、井伊直政が、武田軍の「赤備え」のスタイルを模倣して、自らの部隊全体を、朱色に、統一したものでした。
一方で、猛将として知られた、井伊直政の実際の戦闘回数は、それほど多くは、なかったといわれています。
井伊直政と並ぶ徳川四天王の一人、戦いの申し子といわれる「本多忠勝」は、大きな戦いだけで34回、小さな戦闘も含めると、生涯57回も、戦に参戦したといわれます。
それに対して、井伊直政の戦いは、わずか、9回のみでした。
特に、若い頃は、徳川家康の本陣近くにいて、徳川家康を護衛、戦術を支持・連携する役割を果たし、本格的な戦闘には、あまり参加していなかったようです。
井伊直政の関ヶ原の戦い
天下分け目の関ヶ原の戦いにおいて、井伊直政は、徳川家康の四男である「松平忠吉」軍の後見役として、指揮することを任されていました。
(東軍(徳川軍)の先鋒と定められていた)福島正則の部隊の横を井伊直政は、「敵陣を偵察する」といい、かすめて陣を抜け出しました。
そして、前に出て、西軍の宇喜多勢に、発砲し、攻撃を開始しました。
これは明らかなぬけがけで、ルール違反でしたが、このような行動を取った理由は、
①徳川家の名誉を守るため
②先陣を切るのは、徳川直系の者でないとならないという思いがありました。
徳川秀忠の率いる徳川軍本体が、関ヶ原の戦いに間に合わなかったため、松平忠吉(徳川家康の四男)に、先陣を切らせるという ”1番手柄” を上げさせようとした行動だったとされています。
井伊直政は、関ヶ原の戦いにおいても、勇敢に戦いましたが、島津勢との戦闘で、右肩に銃弾を受け、落馬して深手を負いました。
合戦後、徳川家康も、直々に、井伊直政に薬を与えて看病し、その働きぶりを称えました。
井伊直政の戦いのあと
井伊直政は、徳川四天王の中でも、特に優れた存在であり、関東入府時には、上野国の箕輪城に12万石の領地を与えられるなど、家臣の中で最高の地位となりました。
関ヶ原の戦いの後には、石田三成の旧領も加えて、近江(現在の滋賀県)に彦根城を与えられました。
しかし、関ヶ原の戦いで、受けた銃傷がもとで、井伊直政はその2年後に亡くなりました。
井伊直政の武勇と忠誠心は、徳川家康によって高く評価され、彼の功績に対しては十分な報いがなされました。
上野国・箕輪城に与えられた12万石の領地は、当時徳川家臣団 №1 の大きな所領であり、その後、幕末まで続く、井伊家の彦根藩の基盤を形成する大きな一歩となりました。
井伊直政の早すぎる死は、多くの人々に悲しみをもたらしましたが、彼の名声と業績は、その後も語り継がれ、後世の人々に影響を与え続けました。
さらに、彼の死後に、彦根藩は、発展し、後に井伊家の子孫が藩主として続き、彦根城や近辺の文化・経済の発展に大きく貢献しています。
井伊直政の功績と精神は、後世の日本人にとっても尊敬すべき存在として記憶されています。