江戸時代の日本において重要な役割を果たした永代橋。
洪水に苦しむ荒川から生まれた隅田川の流れに架けられたこの橋は、商業や娯楽の中心地として繁栄しました。
しかし、災厄を招いた一面もありました。
永代橋の歴史は、人生においても適応力、協力、歴史の尊重の大切さを示しています。
これらの要素を取り入れ、ポジティブな思考と行動で、開運への道を切り拓いていきましょう。
永代橋の歴史を紐解きながら、幸せと不幸の交差点について考えてみましょう。
隅田川の起源と橋
江戸時代には、度々、洪水を繰り返す荒川から、分岐した河川が、隅田川の起源となりました。
隅田川周辺は、米問屋など多くの商店が立ち並び、船での水運の中心として江戸市中の輸送路として重要な役割を果たしていました。
また、浅草や両国などの都市は当時の娯楽の中心地であり、江戸一の賑わいを見せる場所であり、交通の要所でもありました。
隅田川に初めて橋が架けられたのは、1594年(文禄3年)の江戸時代で、徳川家康が奥州街道整備のために、墨田川に木造の橋をかけたことが、現在の千住大橋の起源となっています。
江戸時代には、他にも両国橋、新大橋、吾妻橋など5つの橋が、架けられましたが、その中でも、永代橋は、水運の大動脈が通る都市に架けられた重要な橋でした。
永代橋
永代橋は交通の要所として、水運の拠点として重要な役割を果たしました。
江戸時代の都市の発展に寄与し、多くの人々に利用されました。
その後も、歴史の中で、橋は、改修され、現代では、現代の永代橋が、存在しています。
永代橋は、昔も今も、東京の交通の要衝として、人々の生活に深く関わってきたのです。
永代橋崩落事故
江戸幕府の財政が、次第に悪化し、永代橋の老朽化と維持管理の滞りから、幕府は、永代橋を廃止することを決定しました。
しかし、永代橋の存続は、町方町人が、維持費を負担する条件で、継続されることになりました。
ところが、維持管理に、不備があったのでしょう。
大惨事が起こってしまいます。
崩落原因
1807年(文化4年)、富岡八幡宮の例大祭に、多くの群衆が訪れた際、永代橋は、その重みに耐え切れず、崩落事故が、発生しました。
この悲劇は、史上最大の橋の崩落事故とされ、死者と行方不明者は、合わせて1400人以上に上る大惨事となりました。
この例大祭は、12年前に祭りでのけんかが原因で、中止されていたのですが、ようやく12年ぶりに再開されるということで、久しぶりの祭礼(お祭り)とあって、江戸市中から、多くの群衆が、深川に押し寄せました。
その間、徳川一ツ橋家の船が、通過するために橋が、一時通行止めになり、再開後に群衆が、一斉に渡り始めたことが、原因で、永代橋の中央部の東側が、最初に崩落しました。
その後も、群衆は、東側が崩壊したことに気づかずに押し寄せ、雪崩のように川に転落し、崩落個所も広がっていき、とうとう橋全体が、崩壊してしまいました。
町奉行所の御船手組や、佃島の漁師たちが、救助に駆けつけ、必死に救出活動を行いましたが、数日前の雨の影響で、水質が濁り、救助活動は、困難を極めました。
また、遺体の確認も混乱し、遺族が、誤った遺体を引き取ってしまう例も多数発生したといわれています。
教訓
この悲劇は、人生における教訓を示しています。
例大祭の喜びと楽しみが、永代橋の崩落を招いた一因となりましたが、一方で、救助に駆けつけた人々の努力が、多くの命を救い、幸せな瞬間が、生まれたことも事実です。
太田南方の詠んだ狂歌
「永代とかけたる橋は、落ちにけり、今日は、祭礼、明日は、葬礼」
という言葉も、この悲劇の厳然たる教訓を物語っています。
人生には、喜びと悲しみが交錯し、予測できない出来事が起こることを心に留め、常に、慎重さと感謝の心を忘れずに生きることが大切です。
逸話①
糀谷の主人がある日、永代橋で行われる祭礼を見るために向かっていました。
しかし、途中でスリに襲われ、二両二種が入った袋を奪われてしまいました。
主人は、袋を失ったことに気づき、
「お金がないなら祭りを見ても仕方がない」
と考え、そのまま帰宅しました。
その結果、祭りに行かなかったことで、不幸な事故に巻き込まれることを免れることができたのです。
ところが、翌日、町奉行所から、主人の遺体が発見されたとの連絡が届きました。
町奉行所は、主人の身元確認を求め、遺体を引き取るように言いました。
しかし、主人は「自分は無事に帰宅した」と申告しました。
町奉行所の役人は、主人の名前の入った二両二種の袋を見せ、おそらくスリが袋を盗んだ後、祭り見物に行こうとして、永代橋まで行ったが、そこで事故に遭い、溺死したのだろうと結論づけました。
そして、役人は袋を主人に返し、そのまま帰宅させました。
この逸話は、幸せが不幸の原因となる一方で、不幸が幸せの原因にもなり得ることを示しています。
主人が祭りを見ようとしていた幸せな出来事が、袋を盗むスリに襲われるという不幸につながりました。
しかし、その不幸が結果的に、事故に遭うことを避ける幸せな結果となったのです。
奇しくも、スリが主人の身代わりとなり、彼を守ることになったのです。
主人は、お金を奪われましたが、祭りを見ないことに焦点を当て、結果的に事故から逃れました。
物事をどう考えるかや、何を一番大切にするかによって、未来が変わることを示唆しています。
逸話②
南町奉行所の同心、渡辺小佐衛門には、興味深い逸話があります。
ある日、永代橋が崩落し、人々が混乱していました。
渡辺小佐衛門は、事情を理解できずに、後ろから押し寄せる群衆に対して刀を振り回して、戻るように制止させました。
人々は、刀の恐ろしさにおののき、橋を戻り、結果的に多くの人々を救ったという話です。
渡辺小佐衛門は、人々を恐れさせることで、橋を渡ろうとせず、戻ることができました。
刀を振り回すという行動は、不幸な出来事(橋の崩落)から、多くの人々を救う幸せな結果となったのです。
滝沢馬琴(小説家)の記録
「一戸の武士あり、刀を引き抜きて、差し上げつつ、ふりしかば、人みな恐れて、ようやく後ろへ戻りしとぞ」
によって、この逸話は、後世に伝えられ、人々の心に残る出来事となりました。
渡辺小佐衛門のように危機的な状況で、冷静に行動することは、多くの人々を救うことができることを示しています。
江戸時代のお話なので、刀を振り回していますが、現代社会では、適切ではありませんし、法律で禁止されています。
現代では、イベントの告知、メディアの報道、皆々のアドバイス、地域のサービス、DJポリスの出動、誘導が挙げられます。