偉人の遺産

【桶狭間の戦い】信長の奇襲と歴史を変えた一戦

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戦国時代には各地の戦国大名が領土を拡大するために争いが絶えませんでした。

その中で、今川家(現在の静岡県)と織田家(現在の愛知県)は、親の代から続く隣接する領土争いを繰り広げていました。

桶狭間の戦いの全容

桶狭間の戦いは1560年6月12日(永禄3年5月19日)に起きました。

この戦いにおいて、駿河と遠江(現在の静岡県)の守護である源氏の名門・今川家の当主である今川義元は、2万5千の兵を率いて、織田信長の領土である尾張(現在の愛知県)に侵攻しました。

今川義元の目的は、織田信長を討ち滅ぼし、その後、京都に上洛して天下を統一しようという野望でした。

一方、迎え撃つ織田信長軍は、圧倒的に不利な状況にありました。

家臣たちは城に籠もり、なんとか今川義元の大軍をかわそうと提案しましたが、織田信長は奇襲作戦を決断しました。

織田信長率いるわずか2千の兵は、今川義元の大軍が、桶狭間で休憩中に、豪雨を利用して奇襲しました。

今川軍は大混乱に陥り、織田信長軍は歴史的な大勝利を収めました。

今川軍の総大将である今川義元も討たれ、桶狭間の戦いは織田信長の勝利で幕を閉じました。

織田信長と熱田神宮

織田信長は今川義元を討ち取った後、戦勝の感謝の意を表して熱田明神に築地壁を寄進しました。

彼は桶狭間の戦い前にも熱田神宮で戦勝祈願を行っており、合戦後にお礼参りしたのです。

戦勝祈願の際、ちょうど鶴が舞い上がり、それを見た織田信長は「吉兆である」と大いに喜びました。

実際、このエピソードは2002年のNHK大河ドラマ「利家とまつ」でも描かれています。

織田信長役の反町隆史さんが熱田神宮に戦勝祈願に行った際、前田利家役の唐沢寿明さんと木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀次)役の香川照之さんが神社の陰から、沼で生け捕りにしていた数羽の鶴を放ちました。

その鶴が大空に舞い上がり、織田信長とその軍団は

「これは神のお告げ、吉兆だ!今川義元には絶対に勝てるぞ!」と大いに喜ぶシーンが描かれています。

桶狭間の戦いに参戦していた徳川家康

桶狭間の戦いでは、徳川家康が今川方として参加していました。

戦いの最中、徳川家康は大高城に兵糧を補給し成功。

しかし、同時に織田信長によって今川義元が討たれ、今川軍が崩れ去りました。

徳川家康はこの戦局の変化に直面し、大ピンチに陥りました。

しかし、彼は逆にこのピンチを利用して、大高城から本来の領地である三河を今川方から奪還しました。

その後、徳川家康は様々な戦いを経て”天下統一”を果たします。

桶狭間の戦いは彼の武勇の最初の一歩であり、その後の戦国時代の重要な展開となります。

NHK大河ドラマ「どうする家康」でも、徳川家康と家臣団の戦局が印象的に描かれ、この戦いが彼の歴史の転機であったことが強調されています。

桶狭間の戦いで活躍した服部小平太と毛利新介のその後

桶狭間の合戦で、今川義元に立ち向かって勇敢に戦ったのは、織田信長の家臣である服部小平太と毛利新介でした。

服部小平太

服部小平太は桶狭間の戦い後、目立った活躍が見られませんでしたが、織田信長の死後は豊臣秀吉に仕え、数々の武功を挙げました。

彼は伊勢の松坂城の城主(殿様)として3万5千石を領有しました。

しかし、豊臣秀吉の養子である豊臣秀次の謀反の疑いに巻き込まれ、秀次の配下であった服部小平太も責任を問われ、切腹することとなりました。

毛利新介

毛利新介は桶狭間の戦いでの功績により、織田信長の側近である黒母衣衆(くろほろしゅう)に引き立てられました。

その後は目立った活躍がなく、本能寺の変で織田信長が討たれた際には、信長の長男である織田信忠とともに二条城で討ち死にしました。

織田信長の趣味の舞【敦盛】

織田信長は、大軍の今川義元軍との桶狭間の戦いに臨む際、舞ったとされる【敦盛(あつもり)】についてです。

その歌詞は次の通りです。

『人間50年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり、一度、生を終えて、滅っせぬもののあるべきか』

この歌の意味は、人間の生涯は50年にも満たず、夢のように儚いものであり、一度生まれて死なない者はいない。

生きている間に大事なことを成し遂げることが重要だというものです。

織田信長は49歳で本能寺で亡くなり、その言葉通りの生涯を送りました。

桶狭間の戦いにおいて舞った【敦盛】は、織田信長の人生観を象徴しています。

このシーンは織田信長の一生における印象的な瞬間であり、多くのNHK大河ドラマでも、織田信長役の俳優が格好良く歌い舞う場面として描かれています。

まとめ

桶狭間の戦いは小さな軍が大きな軍を打ち破る歴史的な興味深いエピソードとなっています。

  • 奇襲戦の成功: 桶狭間の戦いで最も注目すべき点は、織田信長率いる小さな軍が大軍の今川義元軍を奇襲し、圧倒的な不利な状況を逆転したことです。
    信長は細やかな計画と迅速な行動で、敵の不意をつき、大きな勝利を収めました。
  • 狭い戦場の活用: 桶狭間は狭い地形で戦われましたが、信長はこの環境を利用して敵を混乱させ、奇襲を成功させました。
    狭隘な地形における巧妙な戦術が戦局を有利に進めた点が注目されます。
  • 信長の運命への影響: 桶狭間の戦いでの信長の勝利は、その後の彼の運命を大きく左右しました。
    この戦いが信長の力を拡大させ、その後の歴史的な出来事に繋がっていくことになります。
  • 織田信長の名声の発端: 桶狭間の戦いにおける信長の奮戦と勝利は、彼の名声を高め、戦国時代の覇者としての地位を確立する契機となりました。
    これは信長が天下統一を果たす一歩となりました。
  • 歴史的な転換点: 桶狭間の戦いは、戦国時代の歴史を大きく塗り替える出来事であり、今川義元の敗北が関わる戦国大名や戦国時代の歴史に深い影響を与えました。

桶狭間の戦いは、歴史を愛する心をくすぐる魅力がたくさん詰まっている歴史の宝庫です。

この戦いがもたらす緊迫感、奇襲戦の巧妙な戦術、そして歴史の舞台裏に潜むドラマ。

そこには、一人の指導者が小さな軍勢を率いて大軍に立ち向かい、その奇跡的な勝利によって歴史が大きく動いた瞬間があります。

桶狭間の戦いを知ることで、戦国時代の織田信長の勇猛さや戦略の巧妙さを感じ、その一生を通しての困難と栄光に触れることができます。

歴史は私たちに教訓を与え、過去の出来事は未来を形作ります。

桶狭間の戦いが描く歴史の断片に触れ、その中から学び、感じ、歴史の世界に没頭することで、私たちは過去の興奮と知恵を共有し、未来への洞察を深めることができるでしょう。

この歴史の一ページに触れることで、歴史の興奮と知的好奇心が芽生え、同じように歴史を愛する人々と繋がり、共有できる楽しさが広がることを願っています。

桶狭間の戦いは、歴史の扉を開く鍵となり、その奥深さに魅了されることでしょう。

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