科学の力が、発展の一途を続けようとも、人間は、自分の苦しみ悲しみから、一心に、逃れようとするために、開運を招く、【呪術】、【おまじない】を頼ることにするのです。
しぐさで邪気を祓う厄よけ
にらむ
歌舞伎の名門、市川家(市川團十郎、市川海老蔵の名を継ぐ)のお家芸として、“見得を切って、にらむこと” があります。
この「見得を切って、にらむこと」は、天と地を同時に見る「不動明王」と、同じ目をしているとして、眼力強くにらまれることは、厄除けになると、大いに信じられています。
足踏み
大地を大きく踏みしめる足踏みも、魔除けとされ、大地を清め、鬼神を遠ざける、とされています。
相撲の対戦前に、しこを踏むことと、横綱の土俵入りの型も、邪気を祓う行為とされています。
足踏みだけでなく、舞い踊ることも、神様を称え、喜ばせる行為であり、豊作・厄除けを願う神事に、神楽が常に舞われ、奉納されるのは、豊作・厄除けを願うためです。
拍手
神社に参拝したときに行う拍手も、神様(相手)への、日本古来の敬意を示す礼法です。
現在、神社では、二杯二拍手一杯が、主ですが、古来から出雲大社では、二杯四拍手一杯が、正式であるとされています。
万歳
万歳も現代では、意味合いが少し違っていますが、もともとは、新年や節句に、二人一組(普通は、太夫と歳蔵)で、町々の角ごとに良き言葉を語り、神楽歌を歌って舞い、福を呼び込む、吉兆的な寺宝として行われていました。
現在の「漫才」(二人一組で良いことを語る)の起源ですね。
印を結ぶ
印は、ツキ物を落とす祈祷法で、もともとは、中国の道教の呪文です。
九字の印は、修験道で使われています。
忍者が、術を使う時にも、唱える呪文で、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」と唱えながら、人差し指と中指を立てて、刀のようにした指を、横5回、縦4回、横縦、横縦の順に切ると、魔をしりぞけ、身を守り、敵を破るとされています。
護身呪術
呪いや災いから心身を守る護身術のことを、護身呪術といいます。
密かに襲いかかってくる、悪霊や疾病、呪いから身を守るために、平安時代の貴族たちは、さまざまな呪術を用いて、それらを祓いのけようとしました。
また、夢は、神仏からの霊的なメッセージと考えられ、良い夢であっても、運が逃げない様に、人に語らない、悪い夢は、災いが起こらないように、その内容を変えてしまう呪術が、必要とされています。
夢違え、夢まつりといいます
『あちらをのかるやのさきにたつシカもちがえをすればちがうとぞきく』
という、簡単な夢を変える呪文が、あります。
自然の災害に対処する厄よけ
自然呪術
猛威を振るう自然の災害に対処する呪術です。
生きていくために、雨を願い、豊作を祈り、災害が収まることを、自然が穏やかであることを、人々は、丁寧に祈り、シカや、牛、馬の首を切って、備えました。
空海や日蓮、小野小町も、雨乞いの儀式を行い、日照りに大雨を降らせました。
雷よけの呪文
古来、大変、恐ろしい落雷から、逃れるよく知られた呪文は、「クワバラ、クワバラ」と唱えることですが、これは、雷神となり、多くの政敵を祟った(のちに学問の神様となった)菅原道真の生まれた土地が「桑原」だからだといわれています。
注意:呪文「クワバラ」については、伝説なので、各種の違った話があります。
菅原道真(雷神)が、自分の故郷には、雷を落とすことはないだろうということです。
雷は、こわいから、雷の音がしたら、クワバラ、クワバラと呪文をとなえて逃げるべし
柿本人麻呂は、火災よけ
平安時代の歌人、歌聖とよばれる柿本人麻呂は、火災よけの神様として、祀られることが多々、ありますが、それは、柿本人麻呂が『火(ひ)・止(と)ま・ろ』人麻呂=ひとまろの語呂合わせが起源といわれています。
縁起物の一つである招き猫で厄よけ
招き猫のご利益
縁起物といえば、招き猫を思い浮かべるかたも多いでしょう。
右手を挙げたものは、金運を呼び、左手を挙げたものは、人とのご縁を呼ぶとされてます。
2匹をペアで飾ることも多いでしょうが、2匹の挙げた手が、外側に来るように飾ることが良いとされています。
現在では、材料も、張り子、陶磁器、プラスチック、木彫り、など、さまざまで、風水の影響を受けて、いろいろの色のものが、販売されています。
一番ポピュラーな色は、黒色と白色と茶色の三毛猫です。
- 福を呼ぶ白色の招き猫
- 厄除けの黒色の招き猫
- 病よけの赤色の招き猫
- 縁結びの黄色の招き猫
- 満願成就の金色の招き猫
などがあります。
招き猫の寺、豪徳寺
招き猫の寺として、有名なのは、東京都世田谷区にある『豪徳寺』です。
この寺の由緒は、江戸時代、当時、貧しい荒れ寺であった豪徳寺の住職(和尚)が、可愛がっていた白猫に
「白猫よ、お前も恩を知るなら、何か、果報をもたらせよ」
と冗談を言っていると、ある日、彦根城主の井伊家の殿様:井伊直孝(彦根藩/三代藩主)が、鷹狩の帰りに、この寺の前を通りかかると、猫がしきりに、手招きをするので、気になって、立ち寄りました。
住職(和尚)とお茶を飲み、しばらく、楽しい話をしていると、激しい雷雨となったので、井伊直孝は、
「猫に招かれて、難を逃れて、ありがたい話も聞けた、今後ともよろしく頼む」
と、荒れ寺であった豪徳寺は、井伊家の菩提寺となり、その後、大いに栄えたというのです。
住職(和尚)は、飼い猫の恩を忘れず、その死後も、猫塚を作って、深く、ともらいました。
猫の恩返しですね!