開運物語

【効果絶大な神様】願い事を牛天神(北野神社)と太田神社(貧乏神)へ

牛天神(北野神社)、太田神社(貧乏神)、菅原道真 開運物語

牛天神(北野神社)

飯田橋駅から春日駅方面に向かって、北へ歩き、住宅地の中の小高い丘の石段を登ったところに、小さな神社の境内があります。

源頼朝ゆかりの神社です。

源頼朝(1147年~1199年)

源頼朝(1147年:久安3年~1199年)は、鎌倉幕府の初代将軍です。

平清盛に敗れ、伊豆に流罪となりましたが、伊豆の豪族:北条氏(北条時政、北条義時)らと連携し、東国の武士団を結成しました。

平家打倒を果たし、全国に守護地頭を設置し、支配体制を確立し、それまでの政治の中心地であった京都から離れた鎌倉の地に武家中心の政権を打ち立てました。

また平家追討に非常に功績があった弟の源義経を追放し、源義経をかくまった奥州平泉の藤原氏を滅ぼしました。

願いが叶う撫で岩

源頼朝が夢の中で、牛に乗った菅原道真に、良いことが二つあるとのお告げを受けます。

目を覚ますと菅原道真が乗っていた牛にそっくりの岩があったといわれています。

その後、源頼朝は、①長男・源頼家が誕生、②宿敵の兵士を滅ぼした。

と、良いことが二つ続けて起こったため、源頼朝は菅原道真に感謝して、菅原道真公の北野天満宮を勧請かんじょう*して、北野神社牛天神として社殿を建てました。

牛に似た岩は、現在も願いが叶う撫で岩として、境内に安置されていて頭をなでると縁起が良いとされています。

開運先生
開運先生

あなたも源頼朝ゆかりの撫で岩をなでて、学業成就、商売繁盛、良縁を願ってみませんか?

牛は神聖な動物

牛は、古代インドでは、ヒンズー教でも、仏教においても、神仏の乗り物として、神聖な動物として、厚く崇拝されていました。

日本でも仏教伝来とともに、牛は聖なる動物として、寺社で無病息災、厄除けのご利益があるとされ、牛の像が数多く安置されています。

牛に引かれて善行寺参り

『牛に引かれて善行寺参り』とは、思いがけないことや、他人に誘われて、知らないうちに良い方向へ導かれていくことの例えとして、使われています。

観音菩薩が変身した牛が、信仰心のない欲深い老婆の布を角にかけて、走って行ったので、老婆が牛を追いかけてきたところ、善光寺に到着しました。

老婆は、善光寺(長野県長野市)に参拝することになり、改心して、極楽浄土へ導かれたという伝説に、ちなんだものです。

牛天神_北野神社_おみくじ

太田神社(貧乏神)

北野神社(牛天神)の境内には、末社として小さな社(太田神社)がありますが、この社は、大変、珍しい”貧乏神”がまつられています。

貧乏神は、一般的には、ひどく貧しい姿で人に取り付いて、貧乏や不幸を持ち込む神とされています。

江戸時代に小石川周辺に太田某という旗本が住んでいましたが、この一家は特に無駄使いをするわけでもないのですが、なぜか、いつも貧乏でした。

ある夜、太田一家の主人の枕元に老人が現れて

「わしは、この家に棲みついている貧乏神だが、ここは居心地がいいのでついつい長い間、棲みついてしまった。

そのおわびに今後は『福』を授けるので毎月1日、15日、25日に赤飯と油揚げを備えてくれれば、福を授けよう」

と告げました。

果たして主人は、そのお告げの通りに神社にお参りを実行するとたちまち、万事運気が上昇し、一転してお金持ちになりました。

その話は江戸中に広がり現在まで多くの人が参拝に訪れ、福の神となった貧乏神に手を合わせています。

このお社が太田神社と呼ばれて、お参りする人は

「貧乏神様、どうか我が家に来ないでください」とお願いすることが正しいとされています。

開運先生
開運先生

太田神社にお参りする際は、上記のように「貧乏神様、どうか我が家に来ないでください」と、お願いすることが肝心ですね。

菅原道真

源頼朝の夢の中に立った菅原道真は、学問の神様といわれています。

「菅原道真」(845年~903年)を祭神とする神社は、全国に1万社以上あり、その多くは、〇〇天満宮、〇〇天神社と命名されています。

菅原道真は、無罪の罪で、京から福岡県太宰府に流されました。

菅原道真は、その地で失意のまま没しましたが、その後、京都の御所の建物に雷が落ち、多数の死傷者が出て、また、菅原道真の失脚に関与した者が、次々と病死することが相次いで菅原道真の怨霊の仕業であると信じられました。

雷を落としたことから、菅原道真は、その後、雷神と恐れられました。

その怨霊の不安を慰めるために道真の罪を取り消して、官位を復帰させ、立派な社殿(大宰府天満宮)を創建させました。

それでも最悪は納まらなかったので、さらに993年に生前、正二位しょうにい右大臣うだいじんで終わった菅原道真に正一位しょういちい太政大臣だじょうだいじんの官位を贈りました。

その後、怨霊を信じる風潮が薄れていくと、菅原道真の学者としての評価が強調されて、学問の神様として今も大いに親しまれています。


勧請かんじょう*=神社を新たに分社して迎えること